【心霊スポット】凶悪な連続殺人事件が起こった現場、旧仲哀トンネル。【福岡県】

オカルト系
この記事は約7分で読めます。
スポンサーリンク

旧仲哀トンネル

今回紹介するのは旧仲哀トンネルという場所です。

正式名称は仲哀隧道といい、この土地に残る仲哀天皇の伝説にちなんで名付けられたそうです。

この場所は実際に西口彰事件という凶悪な連続殺人事件が起こった現場であり、恐らくその事件が原因で有名な心霊スポットになってしまったのでしょう…

福岡県の心霊スポットといえば旧犬鳴トンネルを連想する方が多いと思いますが、旧仲哀トンネルは旧犬鳴トンネル以上に恐ろしいと言う方もいる程の場所だそうです。

この場所に実際に行き、心霊現象が起こるかどうか調査してきました!

ではどうぞご覧ください。

スポンサーリンク

◇旧仲哀トンネルの場所◇

場所は地図の通りです。

国道201号線を新仲哀トンネルの手前で脇道に入り、仲哀峠(七曲峠)というカーブが連続する山道を登りきるとあります。

旧仲哀トンネルは現在車での通行はできませんので注意してください。

◇旧仲哀トンネルの噂、心霊現象◇

旧仲哀トンネルの主な噂、心霊現象を集めてみました。

  1. 旧仲哀トンネルは連続殺人事件が起こった場所。
  2. バスの転落事故が起こり数十人が亡くなった。
  3. 自殺の名所になっている。
  4. 無数の狐火が並ぶ、狐の嫁入りが見られる。
  5. 旧仲哀トンネルを通ると帰りに事故を起こす。
  6. 旧仲哀トンネル入り口付近の公衆電話に女性の霊が出る。

一つめの旧仲哀トンネルは連続殺人事件が起こった場所という噂は事実です。

今から約50年以上前に詐欺や窃盗をしながら、5人を殺害するという凶悪な事件が起こりました。

その事件は犯人の名前から西口彰事件と呼ばれています。

西口彰事件の最初の殺人事件が起こったのがこの場所です。

この旧仲哀トンネルの付近で専売公社の職員と運転手が殺害されていました。

その後も西口彰は日本中を逃げ回りつつ弁護士や大学教授を騙り殺人や詐欺を重ね、全国12万人の警察官に追われても巧みに捜査の手を逃れていきます。

最後は弁護士を名乗り教誨師の男性に近づきますが、教誨師の娘である11歳の少女に正体を見破られて逮捕されました。

もっと詳しく知りたい方はWikipediaをどうぞ。

西口彰事件(にしぐちあきらじけん)とは、1963年10月から1964年1月にかけて起きた連続殺人事件。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

西口彰は「復讐するは我にあり」という映画やドラマにもなった小説のモデルにもなったそうです。

二つめのバスの転落事故が起こり数十人が亡くなったという噂と三つめの自殺の名所になっているという噂は根拠になりそうな情報源が見つからなかったので恐らく嘘なんじゃないかなと思います…

◇実際に旧仲哀トンネルに行ってみた◇

今回も運悪く雨に降られてしまいました。

なるべく夜に行きたかったので旧仲哀トンネルの前で前日の夜からずっと雨が止むのを待っていたのですが…

結局雨が止むことはなく、朝を迎えてしまいました。

これが旧仲哀トンネルです。

昼間でもこの威圧感と雰囲気ですから、夜だと尚更でしょうね。

夜に行けなかったのが悔やまれます…

噂では旧仲哀トンネル入り口付近の公衆電話に女性の霊が出るというものがありましたが、まず公衆電話すら見当たりません。

廃道化とともに撤去されてしまったんでしょうね。

 

トンネルの前には頭の無いお地蔵様が鎮座していました。

一円玉が3枚ですがお賽銭もされています。

夜だと雰囲気要員として最高の役目を果たしてくれることでしょう。

 

手書きの通行止の看板。

車両通行止のマークですが、文字では通行止になっています。

歩行者は入って良いのか、いけないのか…?

 

雨のせいかトンネルの脇からは大量の水が流れていました。

 

フェンスがあって施錠されているように見えますが、意外にも施錠されておらず簡単に入れました。

いよいよ旧犬鳴トンネルをも超えると言われている、旧仲哀トンネルに足を踏み入れていきます。

 

トンネル内は霧?湿気?がすごいことになっていました。

旧仲哀トンネルの情報を簡単に説明しますね。

旧仲哀トンネルは1889年(明治22年)に完成、延長432m、幅員6.1m、高さ5.1m、国の有形登録文化財に登録されています。

元は石炭の輸送を目的として作られました。

かなり古いトンネルなので落盤の危険があるそうです…

 

トンネルの壁面はでこぼこしていて、素掘りのトンネルです。

 

先程の素掘りトンネルから一変、途中からちゃんとした綺麗な壁になりました

落盤が怖いのでささっとトンネルを抜けます。

 

もう反対側のトンネルの入り口は開けっ放しでした。

 

反対側のトンネルの入り口はこんな感じです。

入ってきた側と特に見た目に違いはありませんね。

ですが、荒れ具合が全く違うのはなぜなのでしょう…

入ってきた側のガードレールには落書きが沢山でしたがこちら側には無いですよね。

 

扁額には道隧哀仲と書かれています。

昔の日本は右から左に読むのが一般的だったので、これで仲哀隧道と読みます。

 

仲哀隧道の説明看板があったので文字に起こしておきますね。

峠の由来は古く日本書紀によると天皇が九州平定伐の折、この峠を越えたことから仲哀峠と言い、隧道の名称となりました。
京都郡と田川郡との交通は、主として奈良時代に障子ヶ岳と飯岳山中間に設けられた太宰官道によって、明治時代に至るまでおこなわれてきましたが、標高約330mの山越えは急峻なため、人馬の往来に困難を極め、両地域の結びつきをさまたげる原因にもなっていました。
ところが明治時代になり日本の近代化がすすめられるなかで、筑豊の石炭や石灰岩、その他諸々の物資の需要が高まるにつれ、輸送の円滑化とスピード化が望まれるようになりました。
初代郡長熊谷直候によって山の中腹に隧道の掘削が計画されるに至り、京都郡と田川郡の共同事業として推し進められ、1884(明治17)年2月17日に工事が着手され、5年の歳月と23,880円3銭3厘の工事費をかけ、1889(明治22)年7月に貫通し、翌年の1890(明治23)年10月18日に仲哀隧道が開通しました。
その後、1925(大正14)年になって軍部の要望もあり、拡張工事が計画され、1929(昭和4)年に工事がおこなわれ今に至っています。
この隧道(トンネル)の開通によって、人々の山越えの苦労は軽減され、さらに京都・田川両郡の結びつきは一層深められることになりました。
1967(昭和47)年、山麓に新仲哀トンネルができ、現在では使用されなくなり、過去の歴史をひっそりと伝えています。

昔の人にとってこの旧仲哀トンネルは生活に絶対欠かせない大切なものだったんですね。

 

また同じトンネルを通って車まで戻ります。

 

こんな感じで壁が崩れている所もあるので、かなり危険な状態なのだと分かります。

トンネルで生き埋めなんて本当に地獄ですからね、早々に退散します。

 

仲哀峠の説明看板も文字に起こしておきますね。

仲哀隧道の建設
この峠道をのぼり詰めたところにあるとんねる「仲哀隧道」は、京都郡みやこ町と田川郡香春町を結ぶ全長約432mのトンネルです。
明治17年(1884)2月、京都郡・田川郡の共同事業として工事が開始され、明治23年(1890)10月に完成しました。
仲哀隧道の名称は、土地に残る仲哀天皇の伝説にちなんだもので、隧道に至る峠道は「仲哀峠」(通称・七曲峠)と呼ばれています。
森鴎外と仲哀隧道
明治34年(1901)7月4日、小倉の陸軍第12師団軍医部長であった森鴎外は、演習のため行橋から香春へ向かう途中、この仲哀隧道を通りましたが、その際、次のような句を詠んでいます。
雨に啼く鳥は何鳥若葉蔭
仲哀隧道は、昭和42年(1967)に新しいトンネルが開通した後には殆ど利用されなくなりました。
現在は安全面を考慮して通行することが出来ませんが、平成11年(1999)12月、日本の近代化を支えた歴史遺産として評価され、国の「登録文化財」となりました。

旧仲哀トンネルは有名な森鴎外さんも通られたことがあり、その時に句を詠んだそうです。

その句が雨に啼く鳥は何鳥若葉蔭なのですが…

意味は調べてもよく分かりませんでした…

こういう分野が得意な方、助けてください(笑)

◇最後に◇

旧犬鳴トンネルを上回る心霊スポットとのことで、とても雰囲気のある場所でしたが、心霊現象は一切起こりませんでした。

かなり古いトンネルで落盤の危険性もあるので絶対中に入ってはいけませんよ。

それにここは実際に連続殺人事件が起こった現場でもありますし、遺族の方に失礼になるので遊び半分では行かないでください。

行っても霊は絶対に出ませんからね。

では終わります、お憑かれ様でした。

コメント