幽霊寺(永国寺)
熊本県にある幽霊寺と呼ばれているお寺に行ってきました。
なんとも怖そうな名前のお寺ですが、幽霊寺というのは通称で正式名称は永国寺という由緒ある寺院です。
なぜこのお寺がそんな名前で呼ばれているのか?
それはこのお寺を開山した住職が境内で見たという幽霊の掛け軸が伝わっているからです。
今回は幽霊寺(永国寺)に伝わる有名な幽霊の掛け軸を見に行ってきた様子を記事にしました。
◇幽霊寺(永国寺)の場所◇
場所は地図の通りです。
駐車料、拝観料も無料です。
熊本県の南部に位置する人吉市にそのお寺はあります。
付近には人吉城跡や武家屋敷があり、鎌倉時代から明治時代までこの辺りを支配していた相良氏の面影を見ることが出来ます。
幽霊寺(永国寺)を作らせたのも当時ここを統治していた相良氏9代当主の相良前続です。
◇幽霊寺(永国寺)の噂、心霊現象◇
幽霊寺(永国寺)の主な噂、心霊現象を集めてみました。
- 永国寺を開山した実底超真和尚が描いた幽霊の掛け軸が保管されている。
- 永国寺が全焼しても幽霊の掛け軸は燃えなかった。
- 幽霊の掛け軸の写真を撮ると何か良くないことが起こる。
- 幽霊の掛け軸に男性の霊が取り憑いている。
永国寺を開山した実底超真和尚が境内の池で女性の霊を目撃し、その姿を描いたとされる掛け軸が現在も伝わっていて、これが幽霊寺と呼ばれている理由です。
幽霊の掛け軸は残念ながら普段は非公開ですが、レプリカならいつでも見れる状態になっています。
実は年に一度だけ本物が公開される日があり、それは8月に行われるゆうれい祭りの日です。
本物が見たい方はゆうれい祭りの日を逃さない様にしましょう。
ちなみに今年のゆうれい祭りは8月4日(日)でもう終わってしまったので来年まで見ることができません…
幽霊寺(永国寺)に伝わる本物の幽霊の掛け軸には様々な怖い噂があります。
西南戦争の際に幽霊寺(永国寺)が全焼してしまったのですが、奇跡的に幽霊の掛け軸は無傷だったという話。
幽霊の掛け軸の写真を撮った人に不幸が続いたので、お寺に写真を供養して貰ったという話。
幽霊の掛け軸に描かれている女性の霊は成仏したものの、掛け軸に男性の霊が取り憑いているという話もあります。
◇実際に永国寺に行ってみた◇
今回の心霊スポットは実際に現在も運営されている寺院なので昼間に行ってきました。
駐車料と拝観料が無料なのが非常に嬉しい所ですね。
人吉市の観光マップと幽霊寺(永国寺)の説明が書かれています。
説明を文字に起こしてきますね。
明治10年2月21日、西郷隆盛は、熊本に向う途中、諸将と共に、人吉に一泊、球磨川を下って、八代に向ったが、熊本田原坂に破れ、4月27日、再び人吉に至り、ここ永国寺を本陣とした。
西郷は、一切の作戦を村田、桐野等、諸将にまかせ、時折、このあたりを散策し、時には、うさぎを狩り、或いは球磨川に漁したという。
かくて官軍が、人吉に迫るに及び、5月29日、33日間とどまった本陣を去り、狙撃隊に守られ大畑、加久藤峠を越え、小林に向った。
又、八代南郊の戦いで傷ついた、人吉藩士、別府晋介等は、ここで治療をうけており、臨時病院ともなった。
幽霊寺(永国寺)は西南戦争の時に薩摩軍の本陣にもなっていました、その時に全焼してしまうのですが、幽霊の掛け軸はなぜか無事なんですよね。
その火災以外にも何度か火事に遭ったそうですが、無傷だったと言われています。
何か特殊な力が宿っているのでしょうか?
海外にも何度火事になっても燃えない「泣く少年の絵」という呪いの絵があるので、そんな感じでしょうか?
では境内へ入っていきます。
幽霊寺(永国寺)の説明看板があったので文字に起こしておきます。
本尊は釈迦如来で、曹洞宗蓬莱山永国寺という。
第九代相良前続公が開基、一徑永就和尚が開山し、寺院の創立は応永十五年(一四〇八)とも十七年ともいい、第二代住職實底和尚の時である。
明治十年西南の役の際、約一ケ月程西郷軍の本営となったところでもある。
寺宝として有名な幽霊の絵がある。
私は実底超真和尚が開山したと書きましたが、説明看板では一徑永就和尚が開山と書いてありますね。
間違っているんじゃないか?と言われそうなので解説しておきます。
一徑永就和尚が勧請開山、実底超真和尚が創建開山ということです。
簡単に言うと実底超真和尚が開山したのですが、師匠への尊敬の思いが強く、師匠を名前だけでも開山にしようと思った訳です。
開山や開基、似たような言葉が沢山あってややこしいですよね…
宗派によっても意味が少しずつ違ったりするそうなので、私も詳しくは分かっていません(笑)
周囲は墓地になっています。
木のそばにある石搭は千人塚石搭(耳塚)です。
名前で察する方もいるかと思いますが、この石搭にもかなり物騒なお話が伝わっています。
千人塚石搭(耳塚)の説明看板があるので文字に起こしますね。
朝鮮出兵で秀吉は諸大名に手柄の証拠として討ち取った敵兵の耳鼻をそぎおとし塩漬けにし、目録を提出するように命令する。
相良二十代頼房も耳鼻千八百を秀吉に進上した。
この石搭は、その霊を鎮めるためのものと伝わる。
元は門前の千人塚に建てられていたものである。
説明を要約すると、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に相良氏が討ち取った耳鼻1800個を供養するために建てた石搭だそうです。
なんとも恐ろしいお話ですね…
霊よりも人間の方が余程恐ろしい。
大名によっては手柄を立てるために敵兵ではなく、武器を持たない民間人を襲い、沢山の耳鼻を討ち取ったという話もあります。
とても立派な門なので、写真に収まりきってません。
門の左右には仁王像が置かれています。
こちらが本堂です。
本堂に幽霊の掛け軸があるので入っていきましょう。
幽霊寺(永国寺)の御本尊は釈迦如来です。
御本尊に手を合わせ、お参りをします。
お参りを済ませてから女性の霊が出たという池を見に行ってみましょう。
これが女性の霊が出たと言われる池です。
昼間に見ると不気味な印象も無く、風情のある池に見えますが、夜に見ると雰囲気が一変するのでしょうか?
これが池に出た女性の霊を描いたと言われている掛け軸のレプリカです。
恨めしそうな表情の女性の霊が描かれており、なんとも不気味な絵ですね。
幽霊画というと不吉なイメージを持つ人が多いと思うんですけど、実は反対でとても縁起の良いものなのを知っていましたか??
幽霊には足が無いことから、「足が出ない」つまりは「お金が出ていかない」と言われていたり、泥棒が入った時にその恐ろしい絵を見て逃げ出すように描かれていたりするそうです。
お金や家を守る守護神みたいな役割があったそうです。
幽霊の掛け軸の隣に説明があったので文字に起こしておきます。
應永十五年(約五百六十年前)相良九代前續公の時代永國寺開山実底超真和尚の筆といわれている。
㺷广郡木上郷に知名の士ありて、妾さんという女性あり、不慮の死により成佛出来ず。
中有の卋に迷い、和尚の法力を頼つて、數夜にわたつて出現せしを和尚ねんごろに因果の道理を説きつゝその姿を描いたと伝えられている。
この幽霊の掛け軸にはこういう物語があったんですね。
◇最後に◇
今回は熊本県にある幽霊寺(永国寺)を調べてみました。
他サイトでは心霊スポットという扱いでしたが、心霊スポットとは少し違いますね。
ここは心霊スポット探索という感覚では無くて、寺社巡りという感覚で行く方が良いかと思います。
駐車料も拝観料も無料の親切なお寺さんですし、くれぐれも迷惑を掛けない様にしましょう。
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