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【心霊スポット】竹林に消えた「千葉のジェイソン村」ホテル江戸城の噂と廃墟記録【千葉県】

Coco
ライター:Coco
怪談を書いたり、お化け屋敷を作ったり、全国の心霊スポットを巡ったりしています!
オカルト系
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🕯️はじめに

和風の門の先で、客室が竹林に埋もれている。屋根は崩れ、部屋の中にも竹が伸び、その間に「桂木」「万里小路」といった名前だけが残っていました。

千葉県佐倉市にあったホテル江戸城。白骨になった女性の遺体が見つかった、少女の霊が出る。そんな噂とともに、「千葉のジェイソン村」とも呼ばれた廃ホテルです。

今回の写真は2015年6月25日の記録。まだ門や客室が残っていた頃の江戸城を、入口からたどっていきます。

🗺️ホテル江戸城の基本情報

名称:ホテル江戸城(ほてるえどじょう)
別名:千葉のジェイソン村・ホテル江○城
所在地:千葉県佐倉市坂戸1447付近
施設:コテージ式のラブホテル・モーテル跡
撮影日:2015年6月25日
現況:解体済み(2019年に解体確認の記録)

国道51号、佐倉街道沿いにありました。大きな一棟のホテルではなく、敷地の中に客室の建物が分かれて並ぶ造りです。以下は解体前の訪問記で、写真の門や建物が今も残っているという意味ではありません。

👻ホテル江戸城の噂・心霊現象

  • 白骨化した女性の遺体が見つかったという。女子高生だったとする話もある。
  • その女性と結びつけて、少女の霊が現れるといわれる。
  • 別に、建物の中で首吊り遺体が発見されたという噂もある。

白骨遺体と、竹やぶに現れる少女の霊

江戸城で繰り返し語られてきたのが、敷地内で女性の白骨遺体が見つかったという話です。後年の紹介では、殺害された女子高生だったとされ、その少女の霊がホテルに出るという怪談になっています。

一つひとつの客室が独立しているので、外から見ただけでは中の様子が分かりません。竹の向こうに屋根が見えても、そこへ通じる道すら隠れている。誰も使っていないはずの部屋に少女がいる、という噂は、この造りと重なるとずいぶん嫌な感じがします。

首吊りの話と「千葉のジェイソン村」

白骨遺体とは別に、首を吊った人の遺体が建物内で発見されたともいわれています。どの客室だったのか、いつの出来事なのか。そこまで揃った形では語られないまま、人の死にまつわる話がホテルの名前と一緒に残りました。

そして、ここに付いたのが「千葉のジェイソン村」という呼び名です。竹やぶに点在する廃屋を、ひとつずつのぞいていく場所。その名から連想する恐ろしい光景と、江戸城の姿には確かに通じるところがあります。ここまでの遺体や幽霊の話は、いずれもこの場所について語られてきた噂として紹介しています。

📸実際に行ってみた|2015年のホテル江戸城

竹やぶの前に残る、和風の入口

国道51号沿いのホテル江戸城跡、竹林の前に続く白い囲いと落書き
竹に覆われて屋根が傷んだホテル江戸城の木造の入口門
ホテル江戸城の門柱に残る自由に選べるというテープの案内

道路脇には白い囲いが続き、その奥は一面の竹。入口の門も、柱や屋根の隙間から竹がのぞく状態でした。屋根付きの木造門という造りに、「江戸城」という名前の名残を感じます。

柱には「自由に選べる」という案内板。その下に「ベータβ」の文字も残っています。ビデオテープを案内していたらしい看板です。下の黄色い注意板は文字が一部消えており、誰を対象にした掲示だったのかまでは読み切れません。

ビジネス利用の案内とホテル江戸城の文字が残る倒れた営業看板
ホテル江戸城の門の内側、外れた板と露出した木組み
倒れた枝や竹の向こうに見えるホテル江戸城の入口門

足元に倒れた看板には、大きな赤い矢印と「ホテル江戸城」の文字。さらに「御家族連れ」「ビジネスにも」という言葉が読み取れます。今の姿からは想像しづらいですが、宿泊先として客を迎えていた当時の案内です。

門の内側を見ると、板が外れて木組みがむき出しになっています。振り返った入口にも、倒れた枝や竹が重なっていました。道からすぐの場所で、この荒れ方です。

照明も、建物も、竹の間に隠れている

竹葉の奥に案内板と建物の壁が見えるホテル江戸城の敷地
ホテル江戸城の竹林に残る錆びた金属製の支柱
ホテル江戸城の竹やぶの中で傾いた照明器具
ホテル江戸城の竹林の地面に残された赤い物体

敷地の奥には案内板らしいものが見えますが、葉がかぶって全体を読めません。通路の上に残る金属の支柱は錆び、照明器具も傾いています。営業中は道を照らしていたはずの設備が、今は竹の高さに紛れていました。

木の根元には、赤い物体が一つ。何に使われていた物なのかは、この写真からは分かりません。周囲に枯れ葉が積もる中、そこだけ色が強く残っています。

竹林の奥に残るホテル江戸城の黒ずんだ柱と屋根の骨組み
壁と屋根を失い内部に竹が入り込んだホテル江戸城の建物跡
幾重もの竹の向こうに隠れるホテル江戸城の建物

竹の向こうに、ようやく建物の骨組みが見えてきました。柱や梁は黒ずみ、壁はほとんどなく、屋根も大きく抜けています。建物の中と外の境目が分からなくなるほど、竹が入り込んでいました。

別の角度から見ても、手前に何本もの竹が重なり、建物の全体像をつかめません。ホテルを囲んでいた竹林が、客室のあった場所まで続いています。

客室に残った壁と落書き

ホテル江戸城の客室跡、錆びた梁と穴の開いた壁
屋根材が垂れ下がり落書きの壁が残るホテル江戸城の室内
ホテル江戸城の客室跡にある赤い落書きのコンクリートブロック壁

こちらの建物は、錆びた梁と穴の開いた壁が残っています。屋根材の一部は室内へ垂れ下がり、床は枯れ葉や破片で覆われていました。向こう側の壁の上にも、すぐ竹林が見えます。

赤や黒の文字が壁に重なっていますが、これらは建物が使われなくなった後の落書きとみられます。不気味な文言があっても、営業時の掲示や、実際の事件を示す記録とは分けて眺めたいところです。

「桂木」の看板と、取り残された設備

倒れた竹と立ち並ぶ竹が進路を覆うホテル江戸城の敷地
桂木と書かれた客室名の看板が残るホテル江戸城の建物
ホテル江戸城の壁際に残る古い暖房器具らしき設備

先の方も、倒れた竹が幾重にも横切っています。その脇の建物には、「桂木」と書かれた白い客室名の看板が残っていました。小さく振られた読みは「かつらぎ」。数字だけの部屋番号よりも、和風の宿らしい印象です。

壁際には、前面に横長の格子が付いた古い設備も残されています。形からは暖房器具のように見えますが、型番までは判読できません。建物の輪郭が崩れる一方で、こうした小さな設備がぽつんと残っていました。

床の抜けた室内と、水回り

壊れた扉とタイルの床が見えるホテル江戸城の室内
床板が抜け木枠や建具が散乱したホテル江戸城の室内
枯れた竹葉が積もるホテル江戸城の和式便器
タイル張りの浴槽と倒れた板が残るホテル江戸城の浴室

室内には外れた扉や建具が倒れ、床板の抜けた箇所もあります。奥には窓があり、光は入っているものの、部屋の中の様子は明るい場所と暗い場所で大きく違って見えます。

和式便器の周囲には竹葉が積もり、タイル張りの浴槽にも破片や枯れ葉が落ちていました。浴室の壁に残ったタイルは、ここが宿泊客の使う部屋だったことを、骨組みだけの建物よりはっきり伝えてくれます。

万里小路という客室名と錆びた庇が残るホテル江戸城の建物

最後の建物には「万里小路」の客室名。看板には「まやのこうじ」と読める振り仮名が付いています。庇は錆び、壁も壊れていますが、この小さな看板は残っていました。

「桂木」と「万里小路」。竹や落書きに目を奪われる中で、部屋ごとの名前がふいに現れると、営業していたホテルの姿が少しだけ戻ってくるようです。

📚ホテル江戸城の歴史・事件・過去の記録

開業年よりも、先にはっきりする廃墟としての記録

開業年と閉業年は、現段階では確定できません。廃墟検索地図は開業を1980年頃と推測していますが、開業広告や営業許可の原記録で確かめられた年ではありません。閉業理由を事件や火災に結びつけるだけの資料も見つかっていません。

一方で、2001年4月18日保存の旧Webページ「千葉の廃墟」には、すでに「ホテル江戸城」跡が載っています。同じ紹介欄に「千葉のジェイソン村」という呼び名と、白骨遺体が発見されたという説明もありました。少なくとも2001年春には、廃墟の名前とこの話が一緒にネットへ掲載されていたと分かります。

ただし、2001年4月18日はページが保存された日です。事件の発生日でも、ホテルの閉業日でもありません。元記事の公開時期や、その説明が何を根拠にしていたのかまでは確定できませんでした。

旧Web「千葉の廃墟」|2001年保存版
ホテル江戸城跡の紹介と、当時すでに記されていた呼び名・白骨遺体の話。事件報道ではなく、噂の掲載記録として参照。
年代確認できる記録
2001年4月まで旧Webの保存版にホテル江戸城跡と「千葉のジェイソン村」の紹介。
2015年6月25日今回の24枚を撮影。入口門、営業看板、客室名、荒れた室内が残っていた。
2018年11月廃墟検索地図の写真記録にも、竹やぶと半壊した客室が写る。
2019年解体済みとなった記録がある。廃墟検索地図は同年8月に解体を確認。

客室名と営業看板が伝える、ホテルだった頃

廃墟検索地図では、フロント棟と10棟のコテージからなるホテルだったと紹介されています。今回の写真でも、客室ごとに和風の名前を掲げていたことは確かめられます。入口のテープ案内や、家族連れ・ビジネス利用にも触れた看板は、廃墟になった後の評判とは別に残る、営業当時の手掛かりです。

別の訪問記「Ruin’s Cat」には、現地の料金案内を読んだ記録として、休憩2時間4,000円、宿泊6,000円、スイートは2,500円加算とあります。料金表がいつ作られたものかは不明で、今回の写真で直接確認できた価格ではありません。部屋の名前だけでなく、広さや設備による料金の違いもあったようです。

Ruin’s Cat|ホテル江戸城の訪問記
敷地の配置、料金看板、各客室の写真を掲載した訪問記。2020年の掲載日と、現地を撮影した時期は同一とは限らない。

2019年の解体と、写真の残る時間

廃墟検索地図には2018年11月の写真がまとまっており、「桂木」の客室名や、竹に覆われた建物が記録されています。同サイトが解体を確認したのは2019年8月。これは工事が8月に行われたと断定する記述ではありません。正確な工期は未確認ですが、今回の2015年の姿は、解体前に残された記録になります。

廃墟検索地図|ホテル江戸城
2018年11月の現地写真と、2019年8月の解体確認を掲載。開業・閉業時期には不明な点が残る。

🔎噂の真相・ホテル江戸城をめぐる考察

古い話であることと、事件が事実であること

2001年の保存ページによって、白骨遺体の話が最近になって作られた説明ではないことは分かりました。ただ、そのページにも新聞名や発見年月日は示されていません。後年の記事で女性が「女子高生」と語られていても、それだけで身元や事件の内容を確定することはできません。

首吊り遺体の噂についても、今回確認した公開資料からは、日時と現場が一致する報道原文にたどり着けませんでした。したがって「噂が古くからある」ことは確認できても、「その事件が江戸城で起きた」とは言い切れない、というのが現在の結論です。これは事件がなかったと証明できた、という意味でもありません。

黒ずんだ建物を、噂の現場と決めつけない

写真には黒ずんだ柱や、壁を失った建物が写っています。焼けた跡を思わせる部分はありますが、写真だけでは火災の日時も原因も分かりません。どの建物で何が起きたのかを示す記録がない以上、そこを遺体発見の場所や、心霊現象の起こる客室に結びつけることはできません。

それでも、江戸城の写真には説明のいらない荒廃があります。屋根を失った部屋、傾いた照明、進路を横切る竹。道から少し入っただけでホテルの全体が見えなくなる造りは、噂を聞いた人が空白を想像してしまう背景にはなったのでしょう。

開業・閉業の経緯は、古い住宅地図や電話帳、営業許可の記録が今後の手掛かりです。営業当時の利用記録や、年月日の分かる記事をお持ちの方がいれば、看板だけでは埋められないホテルの歴史を確かめる助けになります。

⭐ホテル江戸城の恐怖度

雰囲気:★★★★★
立地:★★★☆☆
心霊現象の有無:★★☆☆☆
過去の事故事件の有無:★☆☆☆☆
総合評価:★★★★☆

評価は解体前の写真と伝わる噂をもとにしています。竹林と崩れた客室の雰囲気は強烈ですが、心霊現象や死者の出た事件を確認できた評価ではありません。国道沿いでありながら、敷地の奥が見通せないところも印象に残ります。

📝まとめ

ホテル江戸城では、竹林の中に「桂木」「万里小路」の看板が残り、倒れた営業看板には客を迎えていた頃の言葉が読めました。2015年の写真に写るのは、名前も設備も残したまま、部屋の形だけが崩れていくホテルです。

白骨遺体の噂は2001年のWeb記録までたどれましたが、その先の事件資料はまだ見つかっていません。建物が解体された今、営業時の姿と怪談の境目を確かめるには、こうした写真や古い記録を一つずつ残していくことが必要になりそうです。

ほかの廃ホテルの記録では、ホテル祇園の「6号室」にまつわる噂も紹介しています。

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