- 🕯️はじめに:首吊り神社と呼ばれる森の中に、本居宣長の神社があった
- 🗺️桜木神社の情報
- 👻桜木神社に纏わる噂と心霊現象
- 🔎桜木神社をさらに深掘り
- 嘉永3年(1850年)、一人の国学者が自分の山林に創建した
- なぜ本居宣長や徳川光圀が祀られているのか
- 1856年の旅日記に、当時の桜木神社が登場する
- 桜木神社文書437点が文化財になっている
- 社殿は大正7年に焼失していた――2007年建て替え説の扱い
- 2001年には、すでに「子供の亡霊」が噂されていた
- 2002年の「落武者の髪を祀った」伝説は史実なのか?
- 首吊り・車内死亡の噂――日時や場所は特定できる?
- 1913年3月28日、日本の航空史に残る事故が近くで起きていた
- 墜落事故と首吊りの怪談が結び付いたのはいつから?
- 「神隠しに遭った撮影スタッフ」は実在する事件なのか?
- 近年は女性の霊が中心に――変化していく心霊スポット像
- 「廃神社」ではない――今も存在する宗教法人
- 📷桜木神社に実際に行ってみた
- 😱桜木神社の恐怖度
- ✍️まとめ
- 🔗関連する心霊スポット
- 💬読者の声・体験談を募集中
🕯️はじめに:首吊り神社と呼ばれる森の中に、本居宣長の神社があった
埼玉県所沢市の雑木林に、ひっそりと建つ一社の神社があります。名前は桜木神社(櫻木神社)。
心霊スポットとしての噂はかなり古く、子供の霊、鳥居にぶら下がる人影、近くの林で起きたという自殺、さらには撮影スタッフが「神隠し」に遭ったという話まで。名前だけを聞くと、何か凄惨な事件を祀るために建てられた神社を想像するかもしれません。
ところが、所沢市の文化財資料を調べるとまったく違う歴史が見えてきます。ここは1850年に本居宣長のため創建された神社で、関連文書は437点も残っているのです。しかも江戸時代の参拝の様子を伝える紀行文まで存在します。
一方、近隣では1913年に日本の航空史に残る墜落事故が実際に起きています。
今回は、いつの間にか「首吊り神社」と呼ばれるようになった桜木神社の噂を追い、創建史・古いネット記録・航空事故の場所をひとつずつ確かめていきます。
🗺️桜木神社の情報
桜木神社の基礎情報
正式表記:櫻木神社(一般には桜木神社とも)
所在地:埼玉県所沢市大字下新井1360番地
創建:嘉永3年(1850年)3月
創建者:森田七郎左衛門道依(森田道依)
祭神:本居宣長(神号:秋津彦美豆桜根大人命)、徳川光圀(関連資料による)
近隣施設:所沢聖地霊園、木村・徳田両中尉墜落地
関連文化財:所沢市指定有形文化財「桜木神社文書」437点
現況:宗教法人として存続する神社
所在地と創建年は所沢市の文化財資料で確認できます。祭神は、所沢市の公式説明では本居宣長を中心に紹介し、境内掲示・『埼玉の神社』に基づく寺社資料には徳川光圀の合祀も記されています。
千葉県野田市にある、同じ読みの有名な「櫻木神社」とは別の神社です。また、心霊情報の一部では所在地を狭山市としていますが、今回の神社は所沢市下新井に所在します。
出典:所沢市「桜木神社文書」(2015年2月18日更新)/猫の足あと「櫻木神社。所沢市下新井の神社」
桜木神社の場所
神社があるのは所沢市東部、かつての下新井村に当たる一帯です。住宅地や道路から少し離れると、現在も雑木林の面影が残っています。近隣には所沢聖地霊園があり、航空機事故に関する史跡も所在します。いずれも独立した場所なので、神社の境内と混同しないよう注意が必要です。
👻桜木神社に纏わる噂と心霊現象
- 鳥居付近に、首を吊った人物の霊が現れる。
- 社へ続く林の中で、子供の霊を見かける。
- 女性の霊が現れたり、耳元で声が聞こえたりする。
- 参道で足音や話し声が近づいてくる。
- 近くで車のエンジンがかからなくなる、ボンネットに何かが落ちる。
- 神社を題材にした心霊映像の撮影で、スタッフが「神隠し」に遭ったという。
- 丑の刻参りに訪れる者がいる、という噂もある。
桜木神社の怪談の中心にあるのは、首吊りと雑木林です。現地は木々に囲まれ、参道を歩くと外から見えにくくなる場所があります。その閉ざされた景観が、長く恐怖の舞台として語られてきました。
噂の記録:全国心霊マップ「桜木神社」/奇怪千万「心霊スポット『桜木神社』」(2021年5月21日公開)
🔎桜木神社をさらに深掘り
嘉永3年(1850年)、一人の国学者が自分の山林に創建した
桜木神社は、恐ろしい出来事があったため急ごしらえされた社ではありません。所沢市の公式資料では、下新井村の森田道依が嘉永3年(1850年)3月、本居宣長の没後50年に合わせて、自分の所有地内に創建したと説明されています。
森田道依は文政3年(1820年)、現在の志木市に当たる新座郡館村の名主・宮原家に生まれました。1842年、23歳のとき下新井村の森田家の養子となり、農業の傍ら国学を学びました。本居宣長を敬い、その門流に学んだ人物です。
社に祀られた「秋津彦美豆桜根大人命」は本居宣長の神号。桜木という社名も、この神号にちなむと『埼玉の神社』に記されています。
つまり桜木神社は、もともと学問を尊ぶ一人の人物が、敬愛する先人を祀るために開いた場所だったのです。
出典:所沢市「桜木神社文書」/「埼玉の神社」を転載・紹介する「猫の足あと」
なぜ本居宣長や徳川光圀が祀られているのか
本居宣長といえば『古事記伝』で知られる国学者です。神社の祭神というと、古代神話の神々を思い浮かべる方が多いでしょう。しかし桜木神社では、学問を究めた先人が神として祀られています。
『埼玉の神社』の由緒によれば、創建当初から本居宣長にあたる「秋津彦美豆桜根大人命」を主神とし、徳川光圀にあたる「源義公命」を合祀しました。さらに文久元年(1861年)には、契沖、荷田春満、賀茂真淵、平田篤胤、本居大平・春庭・内遠など、国学に関わる先人を祀る石祠が設けられました。
これは単なる村の鎮守とは少し性格の違う、国学者たちを顕彰するための神社でした。今の静かな林からは想像しにくいですが、江戸末期の知識人とのつながりを持つ場所だったのです。
出典:『埼玉の神社』所収「櫻木神社関連項目」の紹介
1856年の旅日記に、当時の桜木神社が登場する
そして、創建からわずか6年後の神社を実際に訪れた人物の記録も残っています。
江戸時代の神職で国学者でもあった猿渡盛章は、安政3年(1856年)9月、鶴峯戊申らと武蔵国を旅しました。その旅の記録『漫遊雑記』所収「高麗入間の記」では、9月23日に下新井村の森田道依の屋敷を訪問し、本居宣長を祀る社に参拝したことが記されています。
この紀行文を紹介した歴史ブログ「森の余白」(2007年6月10日)によると、当時の神社へ向かう入口には桜の木が多数植えられ、そこに石造物が設けられていたようです。現在の桜木神社という名前は、決して近年の心霊スポット紹介によって付けられたものではありません。
興味深いのは、創建者の道依だけでなく、外部の国学者たちがわざわざ参拝に訪れていたことです。森の奥の小さな社にも、当時の学問上の人脈が届いていました。
史料名:『猿渡盛章紀行文集』所収『漫遊雑記』「高麗入間の記」(安政3年・1856年9月23日条)
参照先:森の余白「ある神主の安政3年の旅日記から」(2007年6月10日)。※今回は紀行文の二次紹介を確認したもので、原本の実見ではありません。
桜木神社文書437点が文化財になっている
さらに所沢市には、桜木神社に関わる文書群が残されています。所沢市教育委員会が紹介する「桜木神社文書」は、総数437点。2007年(平成19年)4月1日に市指定有形文化財として指定されました。
神社の創建や森田道依の生涯に関する文書だけでなく、本居家の関係者から送られた資料も含まれています。所沢市が紹介する資料の一つには、寛政7年(1795年)の本居宣長の蔵書目録もあります。
心霊スポットとしての呼び名だけが独り歩きしがちですが、実際には郷土史と国学史を調べるうえで価値の高い資料を伝えてきた神社です。
出典:所沢市教育委員会「桜木神社文書」/『広報ところざわ』2015年1月1日号・文化財展の紹介
社殿は大正7年に焼失していた――2007年建て替え説の扱い
神社の由緒をさらに読むと、明治10年(1877年)に無格社として公認され、明治13年(1880年)に社殿を再営したものの、大正7年(1918年)には火災で焼失し、のちに再建されたとあります。
一方、心霊サイトでは「2007年に改修されて綺麗になった」と紹介されることがあります。2008年2月の掲示板にも「建て替えられた」とする投稿があり、何らかの変化があったことは当時から噂されていたようです。
ただし、1918年の焼失・再建と、2000年代の改修は別の時代の話です。2007年の改修の工事記録・施工内容・正確な完了日は今回確認できていないため、「現社殿が2007年に新築された」とまでは断定しません。
出典:『埼玉の神社』由緒の引用/「埼玉県幽霊地帯情報 Part9」2008年2月16日の投稿
2001年には、すでに「子供の亡霊」が噂されていた
では、桜木神社はいつ頃から心霊スポットと呼ばれていたのでしょうか。
現在確認できる古い記録のひとつが、2001年8月1日に匿名掲示板へ投稿された所沢の心霊スポット一覧です。そこには名前の一部を伏せた「桜○神社」が記載され、「所沢・若松方面」で「子供の亡霊」が出ると紹介されています。
この時点で既に、首吊りよりも子供の霊が目立つ噂として挙げられていたことが分かります。後年は女性の霊、吊られた人影、足音、車への異常など、話の種類が増えていきました。
ただし、この記録は当時の掲示板の転載です。「2001年以前から噂が流布していた」ことを示す手掛かりにはなりますが、2001年が噂の発祥年だという意味ではありません。
出典:「心霊スポットスレまとめ・所沢市の怖い話」2001年8月1日・レス232(根っから所沢人)
2002年の「落武者の髪を祀った」伝説は史実なのか?
より奇妙なのが、2002年2月20日の掲示板書き込みです。
それによると、昔この付近の農民たちが落武者を匿っていたものの、役人に発覚することを恐れ、その落武者を殺してしまった。その後に凶作が続いたため、祟りを鎮めようと遺髪を神社に祀った――というのです。
いかにも心霊スポットの由来らしい話ですが、所沢市の文化財説明と比べると決定的な問題があります。桜木神社の創建年と創建者は1850年の森田道依であり、創建目的も本居宣長の顕彰だったと明記されています。
落武者を殺したため桜木神社を建立したという説明は、確認できる創建史とは一致しません。
神社には古い国学者の遺品や関係資料が伝わりますが、それを落武者の遺髪と取り違えたのか、まったく別の物語が後から付け加わったのかは不明です。2002年の噂を消してしまう必要はありません。ただし、史実の創建由来として扱うことはできません。
噂の記録:「心霊スポットスレまとめ・所沢市の怖い話」2002年2月20日・レス225(知)/創建史:所沢市「桜木神社文書」
首吊り・車内死亡の噂――日時や場所は特定できる?
2002年と2006年の掲示板には、桜木神社周辺で実際に死亡者が出たという書き込みもあります。特に2002年の投稿では「同級生の母親が鳥居で首を吊った」、別の投稿では「神社前の道に停めた車内で夫婦が亡くなっていた」といった具体的な証言が見られます。2006年4月18日の投稿では、過去の敬老の日に近くの空き地で高齢夫婦がガス中毒で亡くなったという内容もあります。
それぞれの書き込みにはおおまかな年数や場所の説明がありますが、当事者の名前、正確な事件発生日、新聞記事の掲載日までは示されていません。複数の書き込みが同じ事件を指している可能性もあれば、別件の可能性もあります。
したがって、「神社の鳥居で自殺が続出した」という話を、報道で裏付けられた確定事実として扱うことはできません。
調査をさらに進めるなら、特に1990年代前半の所沢市下新井周辺に関する新聞記事、警察発表、当時の地域記録を日付ごとに確認する必要があります。現段階では古い証言があることと、事件が確認できたことは区別すべきでしょう。
出典:「心霊スポットスレまとめ・所沢市の怖い話」2002年2月20日・7月23日、2006年4月18日の投稿
1913年3月28日、日本の航空史に残る事故が近くで起きていた
桜木神社を紹介する心霊サイトには「近くで航空機が墜落し、死者が出た」という話がよく登場します。この部分は、実際に起きた事故に基づいています。
大正2年(1913年)3月28日。木村鈴四郎砲兵中尉と徳田金一歩兵中尉が搭乗したブレリオ機は、東京・青山練兵場での観覧飛行を終え、所沢飛行場へ戻る途中でした。午前11時59分、突風で左翼が破損した機体が墜落し、両名が亡くなりました。所沢市は、これを日本の航空界で初めての犠牲者が出た事故として紹介しています。
ただし、ここで大切なのは事故現場の場所です。所沢市が指定史跡として示す墜落地点は「所沢市下新井1381番地の4」。桜木神社の所在地「下新井1360番地」とは地番が異なります。
事故後、新聞社が中心になって募金が行われ、事故地点に記念塔が建てられました。1914年3月28日の一周忌に除幕式が行われ、その塔はのちに移転。現在は所沢航空記念公園内にあり、元の墜落地点には殉職記念碑が残っています。
つまり航空機事故は史実ですが、事故が神社の鳥居や境内で起きたわけではありません。この違いは、心霊紹介を読む際に押さえておきたい点です。
出典:所沢市指定史跡「木村・徳田両中尉墜落地」(2019年10月16日更新)/所沢市「187番 木村・徳田両中尉墜落地」
墜落事故と首吊りの怪談が結び付いたのはいつから?
古い書き込みを時系列に並べると、2001年には子供の亡霊、2002年には落武者の伝説と周辺での死亡事故、2006年には雑木林と首吊りの話が目立ちます。航空機事故と神社の関係を強く押し出す心霊紹介は、これらとは別の流れとしても見られます。
事故は1913年、創建は1850年。神社は事故より63年も前から存在していました。したがって「墜落事故の慰霊のために建てられた神社」という説明は年代からして成立しません。
近隣に実在した悲惨な事故と、昔から森に語られてきた怪談。二つが後年、同じ心霊スポットの物語にまとめられた可能性はありますが、いつ、誰が結び付けたのかまでは特定できません。
「神隠しに遭った撮影スタッフ」は実在する事件なのか?
桜木神社には、心霊映像の撮影中にスタッフの一人が姿を消したという、さらに奇妙な噂もあります。2021年公開の心霊スポット紹介動画では「呪狗女」という映像作品との関連が語られています。
しかし、そのスタッフの氏名や行方不明届、警察への通報、事件報道などを特定できる資料は今回確認できませんでした。映像作品の設定・演出・広報上の噂などが混ざっている可能性もあります。
したがって、記事では「撮影中に行方不明事件が発生した」とは書けません。心霊ジャンルの紹介文に登場する都市伝説として記録しておくのが妥当でしょう。
出典:奇怪千万「心霊スポット『桜木神社』」(2021年5月21日公開)の説明欄
近年は女性の霊が中心に――変化していく心霊スポット像
2001年の古い投稿では「子供の亡霊」。2002年には「落武者の祟り」。2006年には「首吊りの霊」。そして近年の心霊情報サイトでは、女性の霊や車への異変が大きく扱われています。
このように比べると、桜木神社の怪談は最初からひとつの完成された物語だったわけではないことが分かります。森にまつわる不安、近隣の霊園、現実にあった航空機事故、そして出典が定かでない死亡説が少しずつ重なって、現在の「危険な神社」という印象が作られてきた可能性があります。
なお、2024年の「ウワサの心霊話」は桜木神社を「狭山市」と記していますが、行政資料上の所在地は所沢市です。こうした地理情報の取り違えがあることも、心霊紹介の内容をそのまま転記すべきではない理由のひとつです。
比較資料:2001〜2006年の掲示板転載/心霊考察「桜木神社|ウワサの心霊話」(2024年9月24日)/全国心霊マップ「桜木神社」
「廃神社」ではない――今も存在する宗教法人
森の中にあり、参拝者が少なそうだからといって、桜木神社を廃社と決め付けることもできません。
埼玉県が公表した「埼玉県知事所轄宗教法人一覧(令和6年12月31日現在)」には、「櫻木神社」所在地・所沢市下新井1360が掲載されています。つまり少なくとも当該基準日時点で宗教法人として登録されていることが確認できます。
普段の管理状況と法人の存続は別の話ですが、現地は誰でも自由に探検できる無管理の廃墟ではありません。社殿に無断で立ち入ったり、祭具に触れたり、夜間に騒いだりすることは避けるべきでしょう。
出典:埼玉県「埼玉県知事所轄宗教法人一覧」(令和6年12月31日現在)
📷桜木神社に実際に行ってみた




















😱桜木神社の恐怖度
雰囲気:★★★☆☆
立地:★★☆☆☆
心霊現象の有無:★★★☆☆
過去の事故事件の有無:★★★☆☆
総合評価:★★★☆☆
✍️まとめ
今回は埼玉県所沢市の桜木神社を調べました。
首吊り自殺が続出した、子供の霊が現れる、落武者の髪を祀っている。そうした恐ろしい噂の一方で、神社の歴史は驚くほど明確でした。1850年、本居宣長を敬う森田道依が創建。1856年には国学者が参拝した記録があり、現在も437点の桜木神社文書が所沢市の文化財に指定されています。
そして「飛行機が墜落して人が亡くなった」という話は、1913年の木村・徳田両中尉の事故として実際に確認できます。ただし墜落地点は神社境内ではなく、下新井の別の地番です。
最も気になったのは、2001年の子供の亡霊から、落武者、首吊り、神隠しへと噂が増えていく過程でした。どの話を取っても同じ時代・同じ出来事とは限りません。だからこそ、怖い話を怖い話として楽しみながら、確認できる史実を別に残しておくことに意味があるのだと思います。
ここは今も信仰が続く神社です。訪れる際は地域の方や参拝者に配慮し、私有地・立入禁止区域への侵入や深夜の騒音は控えてください。
というわけで、今回はここまで。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
それでは――お憑かれさまでした。
🔗関連する心霊スポット
同じ埼玉県の森や公園に残る怪談では、七里殺人の森と松原公園についても、地域の歴史と過去の記録を調べています。
💬読者の声・体験談を募集中
桜木神社の古い写真や改修年、地元で伝えられてきた噂、1990年代の事件報道、神社と国学者の歴史に関する資料をご存じの方は、コメント欄やお問い合わせフォームから情報をお寄せください。




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