🕯️はじめに:「殺人の森」で本当に親子殺人は起きたのか?
埼玉県さいたま市見沼区の一角に、「七里殺人の森」と呼ばれる場所があります。
名前だけでも物騒ですが、そこで語られる事件はさらに凄惨です。森の中の稲荷社で父親と息子が口論になり、息子がナタで父親の首を切断。駆け付けた警察に身柄を確保された息子も、その後に死亡した――。
そして今も、首を失った父親の霊が境内に現れるというのです。
ところが、調べてみると奇妙なことが分かってきました。現場だとされる神社には江戸時代の年号を刻んだ石造物が残り、かつて「七里村」と呼ばれた地域と、この森の所在地は一致しません。さらに、1994年に付近の山林で男性が殺害されたという新聞記事に触れた記録まであるのです。
怪談に登場する親子殺人と、実際の事件は結び付くのでしょうか。今回は土地の歴史や古い神社の記録まで追ってみました。
🗺️七里殺人の森の情報
七里殺人の森の基礎情報
通称:七里殺人の森(ななさとさつじんのもり)
所在地:埼玉県さいたま市見沼区片柳1丁目周辺
心霊情報サイトの所在地表記:片柳1丁目1286
実際の社:三崎稲荷大明神(「正一位三崎稲荷大明神」の扁額)
形態:稲荷社がある雑木林
現況:社と森が残る
親子殺人事件:発生日時・被害者・犯人の一次資料未確認
この森の所在地を「七里」と書く心霊サイトもありますが、実際に神社のある地域は見沼区片柳です。「七里殺人の森」は行政上の正式な施設名ではなく、心霊スポットとして定着した呼称と考えるのが適切でしょう。
七里殺人の森の場所
周辺には墓地や福祉・医療施設などがあります。私有地や立入禁止区域には入らず、神社へ参拝する場合も案内表示と管理者の指示を優先してください。ここでは林への侵入経路は案内しません。
👻七里殺人の森に纏わる噂と心霊現象
- ナタで首を切り落とされた父親の霊が現れる。
- 森の中で、父親の「生首」が追いかけてくる。
- 境内で誰もいないのに声や足音が聞こえる。
- 鳥居をくぐると突然寒気がする、頭痛や吐き気に襲われる。
- 写真に顔や人影が写り込む。
- 狐の像が壊されており、祟りがあるという噂。
- 森の入口に置かれた鏡に、背後の人影が映るという話もある。
これらは心霊情報サイトや訪問者の体験談で語られている噂です。特に有名なのが「父親の首を切断した息子が発狂して死んだ」という物語でしょう。
ただし、息子の最期には「その場で狂死した」「警察に捕まった後にショック死した」「自殺した」と複数の異なる説明が存在します。どれが元の話なのか、そもそも元になった事件があるのかも分かっていません。
噂の出典:全国心霊マップ「七里殺人の森」/心霊考察「七里殺人の森|ウワサの心霊話」(2024年9月25日)/心霊探訪・ガマグチヨタカの会(2022年5月16日)
🔎七里殺人の森をさらに深掘り
「七里」は七つの村から生まれた名前だった
「七里殺人の森」という名前を調べるうえで、まず知っておきたいのが七里村の歴史です。
さいたま市立中央図書館が2009年12月31日に作成したレファレンス記録によると、1913年(大正2年)4月1日、膝子・東宮下・大谷・新堤・猿ケ谷戸(蓮沼)・風渡野・東門前の七か村が合併して「七里村」となりました。村役場は東門前に置かれました。
いっぽう、今の七里殺人の森がある片柳は、別の「片柳村」に属していた地域です。国立情報学研究所などによる歴史的行政区域データでも、片柳村と七里村はそれぞれ別の自治体として収録されています。
つまり、七里殺人の森は「昔の七里村の森」という意味で呼ばれたとは限りません。心霊スポットとして広まる過程で、周辺で知られた「七里」という地域名が使われた可能性があります。
出典:国立国会図書館レファレンス協同データベース「七里村(現さいたま市)の成立について資料を見たい。」(さいたま市立中央図書館、参考資料『七里地区郷土資料』2004年)/歴史的行政区域データセット「埼玉県北足立郡片柳村」
森にあるのは「三崎稲荷大明神」
「殺人の森」という呼称から、木々の奥にただ不気味な廃墟があるように想像するかもしれません。しかし、森の中には実際に祭祀の場である三崎稲荷大明神が鎮座しています。
2014年4月29日に公開された神社訪問ブログ「神社ぐだぐだ参拝録」では、鳥居の扁額に「正一位三崎稲荷大明神」、鳥居の柱に「文政十三庚寅二月吉辰建焉」と刻まれていると記録されています。
文政13年は1830年。江戸時代後期に当たります。「建焉」という文字は、少なくとも鳥居に造立を記念する銘があったことを示します。ただし、これだけで現在の祠の創建年が1830年だとは言い切れません。神社そのものは、さらに古くから存在していた可能性もあります。
出典:神社ぐだぐだ参拝録「三崎稲荷大明神(見沼区片柳)」(2014年4月29日)
1782年の天王宮と1832年の疱瘡神――怪談より古い石造物
この神社の調査で、さらに興味深いのが境内の石祠です。2014年の記録には、天明2年(1782年)造立の「天王宮」と、天保3年(1832年)正月造立の「疱瘡神」が紹介されています。
天王宮は、牛頭天王やスサノオに結び付く祇園信仰と関係することが多く、疱瘡神は天然痘の流行を背景に祀られた神格です。このような神々が地域で信仰されたこと自体は珍しくありません。
むしろ重要なのは、現在「殺人の森」と呼ばれている場所が、江戸時代から地域の暮らしや祈りと関係していたことです。病を避けたい、五穀豊穣を願いたい。そのような日常の願いから設けられた石祠だったのかもしれません。
ただし、1782年の石祠が特定の飢饉や疫病の犠牲者を供養するため造られたという史料は確認していません。年号だけからそのような由来を作ることはできません。
石造物の記録:神社ぐだぐだ参拝録・2014年4月の記事記録(天王宮、疱瘡神の銘)
三崎稲荷と「加田屋新田」の坂東家につながりはある?
2014年の神社訪問記では、三崎稲荷大明神が「坂東家の稲荷社」と呼ばれた例があることにも触れています。
坂東家は、片柳の加田屋新田を開発した名主の家です。現在も近隣には、安政4年(1857年)に建てられた旧宅を復原した「旧坂東家住宅見沼くらしっく館」があります。さいたま市は、坂東家が代々地域の名主を務めてきたことを公式に紹介しています。
ここで気になるのが「三崎稲荷」という社名です。東京・千代田区神田三崎町にも三崎稲荷神社があり、地域の旧家による勧請(神を別の場所へ迎えて祀ること)だったのではないか、という見方があります。
ただし、片柳の三崎稲荷が坂東家によって勧請されたと断定できる由緒書や史料は未確認です。名前の一致や旧家との近さは、歴史を調べる手掛かりにはなっても、それ自体が証明ではありません。
出典:さいたま市「旧坂東家住宅の概要」/さいたま市「文化財紹介 旧坂東家住宅」/神社ぐだぐだ参拝録「三崎稲荷大明神」
親子殺人事件の「日時」が見当たらない
話を事件に戻しましょう。
噂の核心は「息子が父親をナタで殺害した」というものです。しかし、確認できた心霊情報や動画の紹介文には、事件が何年何月何日に起きたか、どの新聞に掲載されたか、どの警察署が捜査したかといった情報がありません。
さらに、息子の最期にも「発狂して死亡」「自殺」「警察に連行される途中でショック死」と食い違いがあります。重大な殺人事件であれば、それぞれ別々の出来事として報道や司法記録に現れる可能性がありますが、今回の調査では話の筋書きを確認できる一次資料は見つかりませんでした。
よって、この記事では親子殺人を史実ではなく、七里殺人の森の由来として語られる伝説として扱います。
噂の記録:奇怪千万「埼玉県心霊スポット『七里殺人の森』」(2020年7月22日)/心霊探訪・ガマグチヨタカの会(2022年5月16日)/心霊考察(2024年9月25日)
1994年1月の朝日新聞――近くの山林に別の殺人事件?
調査を進めるなかで、無視できない情報も見つかりました。
旅行ブログ「にっぽん旅行記」は、2022年7月2日公開の記事で、1994年(平成6年)1月22日の『朝日新聞』に、26歳の男性がハンマーのようなもので数回殴られて殺害されたとする記事があると紹介しています。現場は七里殺人の森と同じ地区の山林内とされ、続報では犯人につながる手掛かりが見つからなかった旨にも触れています。
これは「ナタで父親を斬首した息子」の話とは、凶器も被害者像も異なります。そして、この新聞報道の原紙や掲載面、現場の正確な住所は、今回の調査では直接照合できていません。
そのため、現段階で言えるのは「1994年の別の山林殺人事件を紹介した二次資料が存在する」ということまでです。この事件が三崎稲荷の境内で起きたと考える根拠はありません。
もし原記事を確認するなら、国立国会図書館や新聞社の縮刷版・記事データベースで、1994年1月22日とその約1か月後の埼玉県関係の記事を照合する必要があります。
二次資料:にっぽん旅行記「殺人事件が起きた?七里殺人の森について【埼玉】」(2022年7月2日公開、後年更新)/原紙:『朝日新聞』1994年1月22日付とされる記事(原紙・掲載面は未確認)
「七里殺人の森」は少なくとも2018年には知られていた
では、この物騒な呼び名はいつ頃から使われていたのでしょう。
現在確認できる映像資料のひとつが、2018年11月28日に公開された「水曜日の怪談#19」です。動画の題名にはすでに「七里殺人の森」が使用され、説明文にも「さいたま市にあります七里殺人の森」とあります。
さらに2020年7月22日公開の「奇怪千万」の動画説明文には、父と息子の口論、ナタによる殺害、その後の息子の死亡、父親の生首という怪談が、かなり具体的な形で記載されています。
2022年の「にっぽん旅行記」、2024年の「心霊考察」、2026年の怪異紹介記事でも同様の骨格が繰り返されます。これは、少なくとも2018年には名称が流通し、2020年には主要な怪談の筋書きが知られていたことを示します。ただし、2018年以前の初出までは確認できませんでした。
出典:ハニトラ梅木の墓チャンネル「水曜日の怪談#19」(2018年11月28日)/奇怪千万(2020年7月22日)/怪異資料館(2026年6月24日)
心霊スポットとして知られる一方、参拝先でもある
「七里殺人の森」という呼び名だけでは、境内を純粋な恐怖の舞台として見てしまいがちです。ですが、実際に参拝し、石造物の銘を調べた人たちの記録は、少し違った姿を伝えています。
2014年の神社訪問記は石祠や鳥居の銘を記録し、2023年9月20日の神社ブログ「杜を訪ねて 第二章」は鳥居・扁額・狐像・手水鉢・社殿を写真で紹介しています。俳優の原田龍二さんも2023年1月20日のブログで、三崎稲荷大明神へ何度も参拝していることを書いています。
こうした記録を並べると、ここは心霊スポットとして消費されるだけの場所ではなく、古くから信仰が続いてきた小さな社であることも分かります。
出典:杜を訪ねて 第二章「三崎稲荷大明神」(2023年9月20日)/原田龍二オフィシャルブログ「昼間の心霊スポット!」(2023年1月20日)
見沼の歴史と、この森の位置づけ
周辺の土地の成り立ちも見ておきましょう。さいたま市見沼区には、かつて広がっていた見沼の低湿地と、その外縁にあたる台地や斜面林が残っています。江戸時代には見沼が大きな溜池となり、1727年からの干拓と見沼代用水の整備によって農業地帯へ姿を変えました。
ただし、ここは重要な点です。「見沼に大きな沼があった」からといって、現在の三崎稲荷の場所そのものが昔は水底だったとは限りません。森がどの地形にあるかを厳密に確かめるには、迅速測図や旧版地形図、土地条件図などと現地位置を重ねる必要があります。
とはいえ、古い社が雑木林に残っている背景には、農村時代の暮らしと土地利用が関わっている可能性があります。森に蓄積された歴史を考えるとき、事件の噂だけでなく、その長い土地の時間にも目を向けたいところです。
出典:埼玉県「見沼代用水の歴史を知る」(2026年9月18日)/さいたま市「見沼区の紹介」
📷七里殺人の森に実際に行ってみた

















😱七里殺人の森の恐怖度
雰囲気:★★★☆☆
立地:★★☆☆☆
心霊現象の有無:★★★☆☆
過去の事故事件の有無:★☆☆☆☆
総合評価:★★★☆☆
✍️まとめ
今回は埼玉県さいたま市見沼区の「七里殺人の森」を調べました。
親子が口論になり、息子がナタで父親の首を切り落とした。そんな話が有名な一方、事件が起きた日付や加害者・被害者を特定できる一次資料は見つかっていません。1994年に付近の山林で発生したとされる別の殺人事件への言及はありますが、それがこの森で起きたとは確認できませんでした。
それよりも、現地の記録から浮かび上がったのは、1782年の天王宮、1830年の鳥居、1832年の疱瘡神といった、江戸時代から続く地域の信仰です。神社があるのは旧七里村ではなく旧片柳村の地域だったという地名のずれも見逃せません。
「殺人の森」という呼び名が先に目を引きますが、そこには怪談よりはるかに古い歴史が残っています。物語の由来が今後さらに判明すれば、また追記したいと思います。
神社の祠や供物に触れたり、無断で立入禁止区域に入ったりすることは避けてください。地域の信仰の場であることを尊重して訪れましょう。
というわけで、今回はここまで。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
それでは――お憑かれさまでした。
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