🕯️はじめに:もう死なないで、準一
神奈川県伊勢原市と秦野市の境、善波峠(ぜんばとうげ)。
国道246号の新善波トンネルから少し南へ入った旧道に、昭和初期の古い隧道が残されています。
今回ご紹介する、旧善波トンネル(善波隧道)です。
この場所を有名にしたのは、トンネルの前に出るという少年の幽霊と、かつて国道沿いに掲げられていた強烈な言葉でした。
「もう死なないで 準一」
事故で亡くなった少年が、自分の死を理解できずに何度も車の前へ飛び出す。その姿を見た運転手が事故を起こす。悲しんだ両親が少年を止めるため、看板を建てた――。
そうした怪談は広く知られています。ところが古い記録を追うと、見過ごせない違いが出てきました。看板は旧トンネルの坑口にあったわけではなく、さらに撤去年も通説とは合わない可能性があるのです。
実際に起きた交通事故、故人を悼むための看板、峠の古い歴史、後から付け加えられた心霊の噂。これらは本来、分けて調べるべき話でした。
今回は旧善波トンネルの来歴をたどりながら、怪談がどのように生まれ、どこで事実と混ざっていったのかを調べていきます。
🗺️旧善波トンネル(善波隧道)の情報
旧善波トンネルの基礎情報
名称:善波隧道(ぜんばずいどう)
通称:旧善波トンネル/お化けトンネル
所在地:神奈川県伊勢原市善波~秦野市名古木(ながぬき)
かつての路線:国道246号の旧道
竣工:1928年(昭和3年)
延長:約158m
幅員:約5.5m
有効高:約3.7m
新トンネルの完成:1963年(昭和38年)
現況:旧国道沿いに残る道路トンネル。現地の通行規制は別途確認が必要
善波隧道は、もともと秦野と伊勢原を結ぶ幹線道路に造られたトンネルです。道路・隧道の現地記録では、延長158m、幅員5.5m、高さ3.7m、1928年竣工とされています。実際の坑門にも、昭和3年を示すとみられる銘文が残っています。
ただし坑門の文字の細部を読み取るには現物の確認が必要です。ネット上の訪問記には「昭和三年三月成」と読めるとするものもありますが、ここでは確実な範囲で1928年竣工と記載します。
出典:『廃線隧道 BLOG版』「旧国道246号線・善波隧道」(2024年)/『穴と橋とあれやらこれやら』善波隧道の坑門記録/『あれ!それ!これ!』旧善波隧道の扁額の記録
旧善波トンネルの場所
善波隧道は、国道246号の新善波トンネルの南側を通る旧道にあります。伊勢原市と秦野市をまたぐ峠の中腹です。
新善波トンネルを走っているだけでは旧隧道には入りません。旧道へ分かれた先にあり、付近には宿泊施設なども点在しています。現在の車両通行の可否は現地の標識・規制に従ってください。
新旧二本の位置を取り違えると、事故現場やかつての看板の位置まで誤認するため、この記事では名称を分けて扱います。
出典:『廃線隧道 BLOG版』新旧トンネルの現地写真と位置関係/『TEIONE BLOG』矢倉沢往還・善波峠の踏査記録
新善波トンネルとの違い
現在、国道246号の本線となっているのは、1963年(昭和38年)に完成した新善波トンネルです。
こちらは延長260m。国土交通省が2014年に作成した「次世代社会インフラ用ロボット開発・導入に係る検証候補地」の資料にも、路線を一般国道246号、完成年次を1963年、交通量を当時の資料で1日27,760台とする具体的な諸元が記載されています。
一方の善波隧道は約158mと短く、幅も狭い。現在の国道交通量に対応するために新しいトンネルが造られ、旧道側は役割を譲りました。
「新」といっても新善波トンネル自体が完成から60年以上経つことを知ると、この峠の道路史が少し身近に感じられます。
出典:国土交通省「新善波トンネル」の諸元(2014年公表PDFの11ページ)/旧道側の善波隧道の諸元・坑門写真
周辺情報:善波峠と矢倉沢往還
旧善波トンネルのさらに古い歴史を知りたいなら、近くの善波峠を見ておきたいところです。
秦野市と伊勢原市の境にあるこの峠には、かつて矢倉沢往還(やぐらざわおうかん)が通っていました。江戸の赤坂御門から厚木・伊勢原・秦野を経て、足柄方面へ抜ける道です。
大山参りや富士山への参詣にも利用され、江戸時代には多くの人と物が行き交いました。現在の国道246号は、おおむねこの歴史的な交通路に沿って造られています。
出典:伊勢原市「矢倉沢往還道(大山街道)をゆく!」/秦野市観光協会「善波峠」
👻旧善波トンネルに纏わる噂と心霊現象
- 夜中にトンネルの前で少年の霊が車へ飛び出してくる。
- バイクに乗った高校生の霊が現れる。
- 轢かれた少年が何度も同じ事故を繰り返している。
- 突然現れた人影を避けて、車が事故を起こす。
- 「じゅんいち」という名前の人がこの道を通ると祟られる。
- 亡くなった少年より幼い、小学生ほどの男の子が現れる。
- トンネルの中から声や足音が聞こえる。
- 工事中に亡くなった子どもの霊が出るという別の噂もある。
※以上は心霊情報サイトや古い個人サイトに残る噂です。幽霊の存在や、噂に基づく事故の発生を確認したものではありません。
古い記録ほど「旧道の事故現場」「新善波トンネル」「旧善波トンネル」が混同されている場合があります。怪談の舞台を一つの場所に決めつけず、出典ごとの違いを見ていきます。
出典:『廃墟ブログ』「もう死なないで準一」(2006年10月24日)/全国心霊マップ「旧善波トンネル」
車の前に現れて、何度も轢かれる少年
最も有名なのが、バイク事故で命を失った少年の怪談です。
夜中、善波峠を走る車の前に少年が現れる。運転手は慌ててハンドルを切るが、車を降りて探してもどこにもいない。少年は自分が亡くなったことを理解できず、同じ事故を繰り返しているのだ――と語られます。
そこへ「もう死なないで準一」という看板が結びつくことで、一つの完成された怪談になりました。
ただし、看板が立てられた理由がこの心霊現象だったのか、あるいはもともと交通安全の願いだった看板を、後から心霊話が説明し直したのかでは、意味が大きく異なります。
「じゅんいち」だけが事故に遭うという噂
2006年に公開された『廃墟ブログ』には、さらに妙な話が書き残されています。
この峠を「じゅんいち」という名前の人が通ると事故に遭う。一方、ある「じゅんじ」という名の運転手は、少年に狙われたものの助かったという話です。
名前が一文字違うだけで運命が変わるというのは、交通事故の記録というより、典型的な都市伝説の作り方に近いでしょう。同ブログも、地域で語られる複数の噂としてこの話を紹介しています。
実際に「じゅんいち」という名の人だけが事故に遭ったことを示す統計や新聞記録は確認できていません。
出典:『廃墟ブログ』「もう死なないで準一」2006年の「じゅんいち連鎖説」
工事現場へ弁当を届けに来た子ども
同じ記録には、事故死した17歳の準一さんとは別に、小学生くらいの「じゅん」という少年が現れるという話も収められています。
少年の父親は新善波トンネルの工事関係者だった。忘れ物の弁当を届けようとトンネル内へ入ったところ、落盤に巻き込まれて死亡した――という筋書きです。
しかし、この出来事に対応する工事事故の年月日・新聞記事・犠牲者の記録は確認できませんでした。また、1963年に新善波トンネルが完成していることを考えると、1965年の交通事故と同じ事件ではありません。
17歳の交通事故被害者と幼い工事犠牲者を、名前の響きだけで同一視してはいけません。これは、後から別の怪談が付け足された可能性を考えるべき部分です。
出典:『廃墟ブログ』2006年の「じゅん」少年・落盤事故説/国土交通省資料「新善波トンネル」完成年次1963年
🔎旧善波トンネルの歴史と怪談の真相をさらに深掘り
1802年――善波峠の石仏が語る交通の歴史
1928年に善波隧道が開くより前から、人々はこの峠を行き来していました。
秦野市観光協会の案内では、善波峠の切通しに6基の石仏が残り、その中に1802年(享和2年)の聖徳太子像を刻んだ石塔があると説明されています。市内でも珍しい種類の石塔とされています。
「昔から人が亡くなった峠だったから地蔵が多い」とだけ片付けるのは正しくありません。街道に石仏が祀られる背景には、道中安全の祈りや村の信仰、職人の信仰など、さまざまな理由がありました。
怪談の舞台より先に、旅人が安全を祈った歴史があったのです。
出典:秦野市観光協会「善波峠」(1802年の聖徳太子石塔)/伊勢原市「矢倉沢往還道をゆく!」
1827年に建てられた「御夜燈」
石仏と並んで興味深いのが、峠に残る御夜燈(おんやとう)です。
文政10年(1827年)に峠道の安全のため建てられた石灯籠で、夜道を行く旅人の目印になったと伝えられています。灯火に必要な油は周辺の農家が栽培した菜種から拠出され、峠の茶屋の主人が管理していたという話もあります。
こうした詳細は、古道の調査者が現地案内板を引用した記録に残っています。案内板によると、明治末期まで点灯し、その後壊れたままだった御夜燈は1994年に地元団体の手で復元されたそうです。
交通量の少ない山中にある灯籠だからといって、すべてを心霊のための供養物と考える必要はありません。江戸時代には、通行の安全を支える実用的な役割もありました。
出典:『時空散歩』善波峠の現地案内板(御夜燈、1827年)/『TEIONE BLOG』御夜燈と1994年の復元記録
1928年、曲がりくねった峠道にできた近道
自動車交通が発達すると、善波峠の古道は新しい道路へ姿を変えていきます。
1928年(昭和3年)に完成した善波隧道は、峠を越える道の途中を山の中で短絡するためのものでした。距離は約158m。今日の国道のトンネルに比べれば小さなものですが、それまで尾根を迂回していた交通には大きな意味がありました。
両側の坑門には「善波隧道」の扁額があり、古いコンクリート・石積みの構造を見ることができます。見た目の古さは演出ではなく、昭和初期の道路技術が残っているからです。
出典:『穴と橋とあれやらこれやら』善波隧道の写真・扁額/『廃線隧道 BLOG版』善波隧道(昭和3年竣工)
1956年に国道246号、1963年に旧道へ
善波峠を通る幹線道路は1956年(昭和31年)に国道246号の一部として指定されました。
しかし、交通量が増えれば曲がりくねった旧道と幅の狭い善波隧道だけでは対応しづらくなります。1963年(昭和38年)に、北側を通る新善波トンネルが完成しました。
こうして本線の車の流れは新トンネルへ移り、1928年に造られた善波隧道は旧道側に残ることになります。
「旧善波トンネル」という呼び名は、古い幽霊話から生まれたものではありません。道路が新旧二つになったために生まれた区別です。
出典:国土交通省「新善波トンネル」完成年1963年/『廃線隧道 BLOG版』善波隧道と新善波トンネル/矢倉沢往還と国道246号の沿革を扱う現地記録
1965年9月2日、17歳の少年が亡くなった事故
旧善波トンネルの怪談には、実際の交通事故と結びつく話があります。
複数の心霊サイトや古い個人サイトでは、1965年(昭和40年)9月2日、善波峠付近で17歳の少年がバイクで走行中にトラックと衝突し、亡くなったと紹介されています。少年の名前が「準一」だったとされ、後年の看板と関連付けられています。
ただし事故の説明には「トラックがセンターラインを越えた」「バイクがカーブを曲がりきれなかった」など、衝突の経緯が一致しない部分があります。また、事故が旧善波隧道の坑内で発生したという確かな記録は見つかっていません。
今回、当日の新聞原紙や警察の事故記録を直接照合できていないため、正面衝突の詳しい原因や現場位置まで確定できたとは書けません。確認できるのは、この死亡事故とされる出来事が古くから地域の看板や怪談の由来として語られてきたことです。
出典:『廃墟ブログ』2006年10月24日「もう死なないで準一」/『路地裏:戦慄の心霊スポット 神奈川県2』噂の異同/全国心霊マップ「旧善波トンネル」投稿の現地認識
1966年5月10日付『毎日新聞』の記事名が残っている
事故と看板の関係を考えるうえで、もっとも追いかけたいのが古い新聞記事です。
2006年公開の『廃墟ブログ』には、1966年(昭和41年)5月10日付『毎日新聞』に看板の話が取り上げられているとして、次の見出しが記録されています。
「魔の善波峠に菩薩像 無事故の祈り込め 息子失った○○さん」
さらに近年、看板の昔の映像を検証したブログでは、当時の新聞記事にあったとする父親の談話を引用しています。そこでは、息子を失った後、同じ事故を繰り返さないよう願い、通行する運転手の目を引く標語を友人と相談した、と紹介されています。
この説明が正しければ、看板の主目的は「少年の霊を止めること」というより、同じ犠牲者を出さないための交通安全の訴えだったと考える方が自然です。
ただし、こちらでは新聞原紙を直接閲覧できていません。記事の見出し・日付・談話は二次資料に残る記述として紹介しており、新聞掲載面の確認は今後の課題です。
出典:『廃墟ブログ』1966年5月10日付『毎日新聞』の見出しを紹介(2006年)/『柴ハナのブログ』当時の新聞記事の父親談話を引用した検証記録
看板は旧善波トンネルの入口にあったのか
小坪トンネルのように、心霊の噂が複数のトンネルを混同する例は珍しくありません。旧善波トンネルも同じです。
ネット上には「旧善波トンネルの入口に『もう死なないで準一』の看板が立っていた」とする文章が数多くあります。
しかし、実際に国道246号を通っていた人の証言では、看板は旧善波隧道に入る旧道ではなく、国道246号の本線沿いにあったといいます。
2026年に公開された『柴ハナのブログ』は、1990年5月に撮影されたという車載映像と2024〜2025年のストリートビューを比較し、設置地点を新善波トンネルの伊勢原側から約720m手前に特定したとしています。
ガードレールや道路沿いの構造物が対応するという具体的な検証で、旧善波隧道の直前に看板があったという説明とは整合しません。
ただし、映像の位置比較は撮影者個人の分析です。設置地点の地番や道路占用許可といった公文書による確定ではないことも付記しておきます。
出典:『柴ハナのブログ』1990年車載映像と現在の道路構造の比較/全国心霊マップの地元住民による看板位置の指摘
看板は1989年に撤去された? 1990年の映像が覆す通説
もう一つ、今回の調査で大きな食い違いがありました。看板が撤去された年です。
2006年の『廃墟ブログ』をはじめ、多くの心霊サイトは「1989年(平成元年)に老朽化で撤去された」と説明しています。現在まで広まっている定説です。
ところが、かつてその道を車で走った撮影者が、2026年に古い8mmビデオテープをデジタル化したところ、1990年(平成2年)5月6日に撮影したとされる映像に、看板が二度写っていたと報告しています。
同ブログでは、往路の映像06分28秒付近と復路の10分20秒付近に看板が写るとし、旧国道の景観を比較して場所を確かめています。
もし撮影日の記録と映像内の被写体が正しければ、1989年に撤去済みという説明は成立しません。
ただし、動画の撮影日や対象物の同定は、投稿者の記録に依拠しています。公的な撤去記録までは確認できていないため、現段階では「1990年5月時点でも現存した可能性を示す映像がある」と記述するのが適切でしょう。
「1989年撤去」を確定事項として繰り返す記事が多いだけに、再検討する価値のある資料です。
出典:『柴ハナのブログ』「都市伝説『もう死なないで準一』看板は1989年撤去じゃなかった!」/『廃墟ブログ』「もう死なないで準一」(1989年撤去説)
いつから「霊が何度も事故を繰り返す」という話になったのか
2006年の時点で、「準一」という名前にまつわる噂は幾つもありました。
高校生の霊が車へ突っ込む話。小学生くらいの少年が走ってくる話。名前が「じゅんいち」の人だけに祟る話。そして、新トンネルの工事で幼い少年が亡くなったという話。
共通しているのは「事故」「少年」「同じ名前」という要素ですが、年齢や亡くなった場所は一致しません。
もともとあった交通安全の看板を見て、「なぜもう死なないでなのか」「すでに亡くなっているのに、また死ぬとはどういう意味か」と想像する。そこから、死を繰り返す霊という筋書きが生まれた可能性は十分あります。
ただし、それを最初に語った人物や年月日を特定した記録は見つかっていません。看板の実在は確認できる一方、怪談がどの順序で形成されたかは未解明というのが現状です。
出典:『廃墟ブログ』2006年時点の噂の複数形/『路地裏』準一の名前をめぐる怪談の異同
2024年8月30日、新善波トンネル付近で実際に土砂崩れ
善波峠には、心霊現象とは関係のない現実の危険もあります。
2024年(令和6年)8月30日、台風10号に伴う豪雨で新善波トンネルの伊勢原側坑口付近の法面が崩落しました。
国土交通省の横浜国道事務所によると、国道246号の伊勢原市桜坂交差点から秦野市名古木交差点までが約10日間通行止めとなり、同年9月9日に応急復旧で通行が再開されました。
その後も対策工事が続けられましたが、2026年3月31日に本復旧工事が完了し、従来の雨量による通行止め基準も廃止されています。伊勢原市も2026年7月更新のページで規制解除を案内しています。
注意したいのは、崩落したのは国道246号の新善波トンネル付近であり、旧善波隧道そのものが崩れ落ちたわけではないということです。トンネルの名称や位置関係を取り違えると、近年の災害記録まで誤って伝わってしまいます。
出典:国土交通省横浜国道事務所「国道246号神奈川県伊勢原市善波地先の災害」/伊勢原市「国道246号善波地区の通行規制解除」(2026年7月更新)
旧善波隧道は廃墟なのか
心霊スポットの一覧では、旧善波トンネルが「廃トンネル」や「通行不能な場所」として紹介されることがあります。
しかし、2024年の道路探索記録には、旧善波隧道が車両の通行が可能な状態に維持されていると書かれています。またそれ以前の2014年頃の訪問記録でも、実際に車で通過した様子が報告されています。
もっとも、過去の訪問記録があるからといって、2026年現在も常時自由に車で通れると保証されるわけではありません。工事や道路規制はその都度変わります。
「本線を外れた古い道路」と「正式に閉鎖された廃道」は違います。訪れる場合は道路標識を優先し、立ち入り禁止の場所へは入らないようにしてください。
出典:『廃線隧道 BLOG版』(2024年)旧隧道の通行状況/『穴と橋とあれやらこれやら』現地走行記録/秦野市「国道・県道の通行規制情報」
📷旧善波トンネル(善波隧道)に実際に行ってみた
ここからは、善波隧道とその周辺を記録した現地写真です。
1928年に造られた旧トンネルは、車の往来がある新善波トンネルとは違い、昭和初期の道路の姿を感じられる場所です。坑門や道路の構造、周囲の地形を見ると、昔の峠越えの交通がどんなものだったのか想像しやすくなります。
写真を心霊現象の証拠として掲載するものではありません。




旧善波隧道の坑口には昭和初期の土木構造物らしい意匠が残っています。現在の新善波トンネルとは延長も幅員も異なるため、同じ道路の新旧を見比べることで時代の差が分かります。




トンネル周辺は山地の道路です。撮影を優先して車道に立ち止まったり、通行する車に迷惑をかけたりすることは避けましょう。路面や斜面にも注意が必要です。



🧪噂の真相と検証結果
「もう死なないで準一」という看板は実在したのか
看板については、かつて国道を走った人の証言や現地写真、1990年撮影とされる車載映像の報告が残っています。看板そのものを架空の作り話と考える理由はありません。
ただし、それが旧善波隧道の坑口にあったという説明は疑問です。実際には国道246号の新善波トンネルの手前にあり、旧トンネルとは別の地点だった可能性が高いと考えられます。
出典:『柴ハナのブログ』8mm映像を用いた看板位置の検証/全国心霊マップの地元住民投稿
事故の原因と、看板の本当の意味
17歳の少年の交通事故は、1966年の新聞記事があったとする古い資料に記録されています。看板の設置には、同じ事故を繰り返さないようにという遺族の願いがあったと伝えられています。
一方、「幽霊が毎晩車に突っ込むから、その霊に向けて設置した」という説明は心霊の噂です。事故の真相、看板設置の目的、少年の霊の目撃談を一つの確定した史実としてまとめてはいけません。
また、1965年当時の交通事故の詳細については新聞原紙・事故記録の照合が必要です。
出典:『廃墟ブログ』1966年の『毎日新聞』記事への言及/『柴ハナのブログ』父親の談話を引いた記録
1989年撤去説は再検討が必要
古くから流布している「1989年撤去」という情報に対し、1990年5月撮影という8mm映像に看板が映っているという具体的な反証が公表されています。
映像の撮影日が正しければ、看板は少なくとも1990年5月まで存在したことになります。
いまのところ正式な撤去日を裏付ける行政記録までは確認できていませんが、古い記事に何度も書かれた年をそのまま信じるのではなく、後から発見された写真・映像と突き合わせる必要があります。
出典:2006年の1989年撤去説/1990年5月6日撮影とされる映像の検証
心霊現象が起きたと断定できる記録はあるか
車に飛び込む人影や、「じゅんいち」という名前の人が祟られる話、父親に弁当を届けた少年の落盤事故などは、いずれも怪談として語られています。
当時の警察記録や現場写真と結びつけて、これらの心霊現象が発生したと確認できる資料は見つかっていません。
ただし、存在を確認できないからといって、体験したと語る人の恐怖まで否定する必要もないでしょう。怖い噂がなぜ広まったかを調べることは、それ自体がこの場所の歴史を調べることにもつながります。
夜の肝試しより、道路としての安全確認を
善波隧道は、昔の国道を通すために造られた道路トンネルです。
現実の道路事故は、悪天候、斜面の状態、急カーブ、狭い車道、夜間の視界の悪さなどによって起こり得ます。2024年には近くの新善波トンネル側で大規模な法面崩落も発生しました。
人影を探して車道に飛び出す、道路をふさいで撮影する、車を急停車させるといった行為は危険です。
旧道の通行可否はその時点の規制に従い、建物や私有地へ無断で入ることも避けましょう。
出典:国土交通省横浜国道事務所「善波地区の災害・復旧記録」/秦野市「国道・県道の通行規制情報」
😱旧善波トンネル(善波隧道)の恐怖度
雰囲気:★★★★☆
立地:★★★☆☆
心霊現象の有無:★☆☆☆☆
過去の事故事件の有無:★★★★☆
総合評価:★★★★☆
実際の交通死亡事故の記録と、異様な言葉の交通安全看板が結びついた、神奈川県でも有名な心霊スポットです。山あいの旧道と昭和初期のトンネルの雰囲気も独特です。
一方、怪談に登場する少年の霊の存在は確認できません。評価は当ブログ独自の目安であり、交通事故の事実だけをもって超常現象を認定しているわけではありません。
✍️まとめ
「もう死なないで準一」。
看板に書かれた言葉だけを見ると、亡くなった少年が何度も事故を繰り返しているようにも思えます。ですが、その由来を古い資料でたどると、違った景色が見えてきました。
もとは事故で子どもを失った家族が、同じ悲劇を繰り返してほしくないという願いを伝えた言葉だった可能性があります。
さらに驚いたのは、看板の場所と撤去年です。旧善波トンネル入口にあったとする説明は古い車載映像と合わず、1989年撤去という通説にも1990年5月の映像という異説が現れています。
このように一つずつ調べると、史実としての交通事故、遺族の願い、そして後から広まった心霊伝説は、同じではないことが分かります。
江戸時代の矢倉沢往還を通った旅人たち。1928年に完成した旧隧道。1963年に造られた新トンネル。そして今も残る「準一」の話。
善波峠には、怪談以上に長い歴史が折り重なっています。
それでは――お憑かれさまでした。
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💬読者の声・体験談を募集中
旧善波トンネルを訪れたことがある方、昔の国道246号沿いに立っていた「もう死なないで準一」の看板を覚えている方からの情報をお待ちしています。
特に、1966年5月10日付とされる『毎日新聞』の記事の掲載面や、1990年前後の看板の写真、撤去工事に関する資料をご存じの方は、ぜひお寄せください。
地元に伝わる話や、現地の様子、心霊体験なども歓迎しています。コメントやお問い合わせフォームからお知らせください。




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