🕯️はじめに:佐賀県立森林公園とは?
昼間は野球、テニス、散歩、家族連れで賑わう大きな県立公園。
ところが、その一角には「処刑された人々を供養する千人塚」が残り、夜になると女性の霊や黒い影が現れる――。
今回ご紹介するのは、佐賀市にある――佐賀県立森林公園です。
佐賀市嘉瀬町と久保田町にまたがる約52.4ヘクタールの広大な県立公園で、現在はスポーツ・レクリエーションの拠点として普通に利用されています。
しかし、公園北西部周辺はかつて佐賀藩の嘉瀬刑場があった地域です。
刑死者を供養する「千人塚」「千人塔」の歴史も、心霊サイトだけの話ではありません。
佐賀市の地域文化資料『さがの歴史・文化お宝帳』には、藩政時代の刑死者の菩提を弔うため刑場の一隅に供養塔が建てられ、1766年に石碑へ改建されたという記録があります。
さらに1874年の佐賀の乱後には、江藤新平・島義勇らが嘉瀬刑場で処刑されています。
つまり、「昔ここに処刑場があった」という部分は単なる怪談ではなく、実際の土地の歴史です。
一方で、「千人塚に黒い影が出る」「展望台の女性霊に追われる」「公衆電話に霊が出る」「怪異が多発したため21時で閉鎖されるようになった」といった話は、別途検証が必要です。
今回は、佐賀県立森林公園の成立、嘉瀬刑場、千人塚、別れの松、江藤新平との関係、そして公園で語られる心霊噂を、実際の現地写真と合わせて整理します。
🗺️佐賀県立森林公園の情報
佐賀県立森林公園の基礎情報
名称:佐賀県立森林公園
所在地:佐賀県佐賀市久保田町・嘉瀬町周辺
面積:約52.4ヘクタール
整備開始:1968年(昭和43年)
主要エリア開園:1973年以降、段階的に整備
公園開門時間:5時~21時
主な施設:さがみどりの森球場、テニスコート、アーチェリー場、芝生広場、自然池など
歴史的背景:旧嘉瀬川河川敷・佐賀藩嘉瀬刑場跡周辺
関連史跡:千人塚、別れの松など
佐賀県立森林公園の場所
公園は旧嘉瀬川の河川改修によって生じた旧河川敷を活用して整備されました。
1968年、明治百年記念事業の一環として整備に着手。1973年には中央入口・県民の森・県民の広場が開園し、その後テニスコート、自然池、球場などが順次整備されています。
現在の公式開門時間は5時~21時です。
心霊サイトでは「昔は24時間開放されていたが、怪異が続出したため21時閉門になった」と語られますが、公園公式の沿革・利用案内にその説明はありません。
夜間閉門は通常の公園管理上の運用と考えるべきでしょう。
参考:佐賀県立森林公園「History」
嘉瀬刑場と千人塚
この場所の心霊噂を理解するうえで最も重要なのが、嘉瀬刑場です。
佐賀市の地域史料によると、嘉瀬町西側の旧長崎街道付近、嘉瀬川河川敷一帯には鍋島藩政時代の刑場がありました。
その刑死者を供養するための塔が「千人塚」「千人塔」です。
およそ270年以上前、妙福寺の日仙上人が刑死者供養のため卒塔婆を建てたのが始まりとされ、1766年(明和3年)には日潮上人によって石碑へ改建されたと伝えられています。
森林公園整備の際、元の千人塔は妙福寺へ移され、現在はそれとは別に森林公園北西部にも千人塚が建てられています。
したがって、「千人塚がある」「この周辺が刑場だった」という部分は史実・地域史として確認できます。
参考:さがの歴史・文化お宝帳「千人塚」
江藤新平・島義勇も嘉瀬刑場で処刑
嘉瀬刑場で処刑された人物として特に有名なのが、明治政府で初代司法卿を務めた江藤新平です。
1874年(明治7年)の佐賀の乱後、江藤新平や島義勇らは死刑判決を受け、4月13日に嘉瀬刑場で処刑されました。
江藤の首はその後、千人塚付近で梟首されたと伝えられています。
佐賀近代史の非常に重い場所ですが、江藤新平の霊が出るという話と、史実として処刑されたことは分けて考える必要があります。
「別れの松」とは?
公園周辺には、「別れの松」と呼ばれる場所もあります。
佐賀市内の散策コース資料では、刑場へ曳かれる罪人が、ここで見送りの肉親や知人と最後の別れを告げ、水盃を交わすことを許されていたため「別れの松」と呼ばれたと説明されています。
嘉瀬刑場が廃止された後も松は代々植え継がれてきたとされます。
心霊噂では、この場所で女性の泣き声が聞こえる、女性の霊が現れると言われます。
「最後の別れをした場所」という実際の伝承が、後世の怪談を生みやすい背景になった可能性はあります。
参考:佐賀市周辺ウォーキングコース資料
👻佐賀県立森林公園に纏わる噂と心霊現象
- 千人塚周辺で心霊写真が撮れる。
- 処刑された人々の霊が現れる。
- 人魂や黒い影が現れる。
- 展望台付近で女性の霊が現れる。
- 女性の霊に追いかけられる。
- 誰もいないのに後ろから足音が付いてくる。
- 公園内の公衆電話に霊が現れる。
- 怪異が多発したため、公園が21時で閉鎖されるようになった。
- 「別れの松」で女性の泣き声が聞こえる。
- 「別れの松」で女性の霊が現れる。
- 公園周辺の交差点で事故が多発する。
※嘉瀬刑場・千人塚・別れの松そのものは地域史で確認できます。一方、女性霊・黒い影・公衆電話・怪異による閉門・事故多発などは、心霊サイトや体験談で流布する噂です。
「千人塚=1000人が埋まっている」わけではない
名前だけ見ると、「千人の遺体が埋まっている集団墓地」のように思えてしまいます。
しかし地域史料では、千人塚は刑死者の菩提を弔う供養塔として説明されています。
「千人」という名称が、そのまま埋葬人数を意味するという記録ではありません。
この部分も、心霊サイトだけを見ると誤解しやすいポイントです。
21時閉門は心霊現象が原因?
「昔は24時間開いていたが、夜中に不可解な体験をする人が続出して21時閉門になった」という噂があります。
現在の公式利用案内では確かに開門時間は5時~21時。
ただし、公園側の資料に「心霊現象が理由で閉門時間を設けた」という説明はありません。
スポーツ施設や広い駐車場を持つ県立公園として、夜間閉門そのものは不自然ではありません。
したがって、この話は閉門時間という事実に、後から怪談的な理由付けが加わった可能性があります。
📷佐賀県立森林公園に実際に行ってみた
ここからは、私が実際に佐賀県立森林公園を訪れた際の写真です。
普段は家族連れやスポーツ利用者も多い普通の県立公園ですが、刑場・千人塚の歴史を知ったうえで歩くと、見え方は少し変わります。













千人塚や周辺の歴史を調べると、「刑場だった」という部分だけは、よくある後付けの心霊設定ではなく、実際の地域史に根差したものだと分かります。
🧪噂の真相と検証結果
佐賀県立森林公園の心霊噂は、史実の土台がかなり強いタイプです。
嘉瀬刑場が存在したこと、千人塚が刑死者供養のために建てられたこと、江藤新平・島義勇らが嘉瀬刑場で処刑されたこと、別れの松で罪人が家族と最後の別れをしたという伝承――。
これらは地域史料で確認できます。
しかし、そこから先の「女性の霊」「黒い影」「心霊写真」「公衆電話」「怪異が原因で21時閉門」といった話は別です。
今回確認した資料では、それらの怪異を裏付ける事件・公園記録は確認できませんでした。
つまり、実在した処刑場と供養塔という重い歴史の上に、後世の目撃談や心霊写真、公衆電話の怪談が積み重なった場所と考えるのが自然です。
公園そのものは1968年以降に整備された現代の県立公園であり、嘉瀬刑場時代の景観がそのまま残っているわけではありません。
😱佐賀県立森林公園の恐怖度
雰囲気:★★★☆☆
立地:★☆☆☆☆
心霊現象の有無:★☆☆☆☆
過去の事故事件の有無:★★★★☆
総合評価:★★★☆☆
✍️まとめ
佐賀県立森林公園は、昼間だけ見ればスポーツ施設や芝生広場のある、ごく普通の大きな県立公園です。
しかし土地の歴史を調べると、嘉瀬刑場・千人塚・別れの松という重い記憶が確かに残っています。
特に「昔ここに処刑場があった」という話は、心霊サイトが作った設定ではありません。
一方、「千人塚に霊が出る」「女性に追いかけられる」「公衆電話に霊が出る」「怪異が原因で21時閉門」という部分までは、史料で確認できませんでした。
ただ、怪談の背景を調べることで、佐賀藩時代から明治初期にかけてこの土地が担っていた役割まで見えてくる。
心霊スポットの記事としてだけでなく、佐賀の刑罰史・近代史を知る入口としても非常に興味深い場所です。
公園は現在も普通に利用されているため、開門時間と利用ルールを守って訪れてください。
というわけで、今回はここまで。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
それでは――お憑かれさまでした。
🔗関連する心霊スポット
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